嫉妬(ひとをうらやみ、ねたむ)の“嫉”も“妬”女へんになっているが現代では奇異な字である。嫉妬が女性の特徴のような感じを字から受けるが、これは男性上位の社会の名残なのだろう。

 昔は家という制度が厳守された。家系、血統を守るために「子なき妻は去る」として離婚させられたり、側女を置くことが上流階級では普通であった。その時、女の嫉妬心が発揮されると家の平穏が揺れるので女性のやきもちは強く禁ぜられた。それが字になったのであろう。

 後醍醐天皇には18人の子があったという。徳川家は正妻でない妾の子は松平姓を与えられた。昔の江戸の地図をみると松平家の大きい屋敷が所々にあった。

 会津の幕末の殿様は、京都守護職、松平容堂であり新撰組と共に勤皇浪士を弾圧した。維新戦争の時は、会津松平と、桑名の殿様の松平と共に徳川擁護のために戦った。京都での浪士弾圧の怨みを受けて会津の人達は下北半島の開墾に追いやられて苦労した。

 もちろん、ねたみや嫉みは男にも女にもあることだ。昔のお家騒動も原因は嫉みであるし、最近の隣近所のいざこざも、嫉みである。

 「隣の家が蔵を建てれば、腹が立つ」という俗言心理がある。処世上、他人の嫉みを受けないようにご用心を。自分が出世したら良いことがあったり、宝くじが当たったりした場合、喜んでくれるのは身内の人だけか、特に親密な関係の人だけである。他の第3者やライバルも一緒に喜んでくれると思う人は、いわゆるアマちゃんである。陰でどんな悪だくみをしているかも知れない。

 野球のナイトゲームで、最高殊勲選手に選ばれた人の中に“運がよくて喜んでいます”と謙虚に答える人は好まれる。とにかく、何事にも威張らないことが、世間のねたみや反感を受けないための隠れ蓑である。

 一応結論は右の通りだが、世の中は、そう簡単でもない。あまり謙遜ばかりしていられない場合もある。それは「上から出れば反発し、下から出ればナメられる」ということである。

 私は若いのに長が付く役職を命じられた。理由は、戦時中、南方製油所に多くの社員や役員が、軍の命令で徴用された。そのために社内が人材不足となったので会社は若い私を重用することになったのである。このために私は、多くの先輩を部下に持つことになった。それら先輩の職種上の不運もあった。私は、おとなしい人間なので、先輩を気の毒と思って、なるべく、その人の誇りを傷付けないように、圧迫しないように心掛けた。

 ところが、私を意気地なしと見たのか、中には仕事上の長を認めないような事をする人があった。そこで別室に呼んで忠告したことがあった。これは私がおとなしいことが欠点であった。やはり初めから高飛車に出たほうが良かったのであろうと私は思う。その際、私への反発心を受けただろうが、それは押し切るべきであろう。

 較ぶべくもない月とすっぽんの話だが、似たようなケースとして、徳川3代将軍家光は、諸大名に、私は先代と違って生まれながらの諸大名の上位の将軍であると宣言したという話がある。

 西欧の諺に「期待の道はあるが感謝の道はない」。
 これは、何かを頼みたいときは人は来るが、それで助かったと感謝に来る人はない、という辛辣な(手厳しい)言葉である。

 平尾釟三郎という有名な実業家は次のように言っていた。
「人は得になるか面白いかのどちらかでないと訪ねて来ない」
こう言われてみると、私も反省すべきことが少なくない。



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