ゴルフはなぜ面白いのだろうか。

 健康によいとか、緑の芝があるからだ、という理由も言われるが、これは二義的理由であって、本当は面白いからであろう。

 独りで早起きをして、重い荷物を担いで、たまの日曜の家庭サービスをサボって、金まで払ってゴルフ場に出かける。ふだんは新聞紙を取りに行くのも面倒くさがる男が、一日中、夢中になって球を追っかけている。面白くなくてはやれることではない。魚釣りもスポーツもゴルフも皆、面白さを求めてやるのだ。そこで、人間は面白さを求める動物である、ということになる。

 この次は良いショットをしようとの期待感を試すのがゴルフの面白さである。たまにはうまくゆくが、なかなか思うようにいかない。うまくいったり、失敗したり、失敗のほうが多くて一日が暮れる。そこで、帰ってから練習場に通って次の一日に期待する。

 しかし、なかなか上手にならないので飽きないのである。簡単に上手になれるものなら、飽きが来るが、ゴルフは飽きないように難しくなっている遊びである。誰が言ったのか「この次はこの次はで20年」とはうまく言ったものだ。そして自分の力量の限界を知って、健康ゴルフが目的となる。

 要するに、自分の能力向上に挑戦していることがゴルフの面白さである。
 立場を変えて考えて、ゴルフを単なる労働と見れば、苦労の多い仕事となるだろう。命令されてやる仕事となれば、搾取とも言われるかも知れない。

 日本人は働き過ぎだと非難される。これは資本主義社会で働くことは搾取労働だと見る左翼の考え方の延長線上の考え方である。それを言うのは大抵、ジャーナリストだが、自分はサラリーマンに数倍する働き過ぎであるのに、なぜ自分が働き過ぎに陥るかの理由を追及しようとしない。

 サラリーマンのなかには、仕事が面白いのでやっている人が少なくない。ゴルフと同じように少しでも向上しようと思って仕事に挑戦している人は仕事が面白いのである。仕事は、社会に寄与する生産的価値があるし、挑戦すればする程、奥が深いので興味は尽きない。遊びとは違って価値が大きいのだ。それに効率よく働けばそれに比例して収入が多くなる個人企業をしている人は、苦労も多いが仕事の醍醐味を味わえるのだろう。

 芸能人は、自分の芸の向上に骨身を削って努力する。その結果の報酬は大衆の人気、拍手として反映してくるから、張り合いがあって面白いのだろう。

 サラリーマンの場合は、多勢の集団のなかの一員であるから、個人的色彩が淡いから、面白みも個人芸能家に較べて少ないだろう。しかし、各個人は集団の重要な1つの歯車であるから、その働きは大切である。プロ野球を例にとれば、投手も捕手も、外野も内野も、たまにしか出番のない補欠もチームとして重要だから、皆が自分の能力向上に血のにじむ練習に精進する。

 会社員も同じことである。意思を文章としてまとめたり、字をうまく書いたりすることに興味を持てば仕事が面白くなるのだ。現場仕事でも、安全に、能率良く、名人芸のようにやろうとすれば、そこに興味が湧くのだ。

 仕事はつまらない、との否定的理屈を探せば、いくらでもある。そして、その人の人生もつまらないだろう。張り切って毎日を面白く暮らすのも人生である。どちらを選ぶのも自由だが、その分かれ路は、心の持ち方次第である。

 こう言ってもサラリーマンの泣きどころがある。努力向上しても上司は認めてくれない。同僚は知らぬ顔である。家庭では、会社の仕事の事は判らないから、亭主を粗大ゴミ扱いする浅はかな妻子の家庭が少なくないという。

 そこでサラリーマンなるものは1つの哲学を身につける必要がある。それは他人の評価を気にしないで、自分が自分の向上ぶりを評価することである。これは孤独感に陥るが、人間は誰でも孤独であるから他人から理解されないのは仕方がないことだとあきらめる哲学も身につける必要がある。

 会社側にとっては、心がけは本人の勝手であると放置しないで、会社は社会的にどれだけの貢献をしているかとか、各職場の任務の重要さを認めて仕事への張り合いを持たせるとかの親切心を持つことが必要である。私は昔、工場長を務めていたとき、このように考えて所内報誌を発行したことがある。その当時は異端者とみる人がいたが今では多くの会社で社内報発行が行われている。



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