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     稲富 みつ枝

稲富 滋 


 1998年の6月初旬、母の葬儀も終わり、家の整理をしているところへ郵便が届いた。

 封筒を見ると「澤會」とある。「?」。 沢田研二ファンクラブ? 何かの間違いでは、誤配かな? 明らかに母の名前が表書きしてある。開封してみると神奈川県綾瀬市公会堂のチケットが1枚。 席の場所は1列目18番目。 かぶりつきだ。

 母がいつから沢田研二のファンだったのか定かではないが、引き出しの奥深くにためてあったチケットの一番古いものは、1983年(昭和58年)のものであった。それ以前の沢田研二の公演記録がわからないので何ともいえないが、多分そのころからか?

 いずれにしても母は、このことをだれにも言わずに隠していた。 近所の旅行友達も、親戚もだれ一人として知る人はいなかった。無論、一人息子の私もまったく預かり知らぬことだった。

 澤會を通してだろうか、他のファンとの交流はしていたようで、沢田研二の出るテレビ番組のビデオ撮りを依頼したメモが、ベッドのまくら元から見つかった。

 思い当たる節もないではない。 夜、当然居るだろうと思った時間に電話を入れても出なかったり、2階の彼女の部屋へはどうしても入れさせてもらえなかった。 2階のほかの部屋へ行く時も、何となく落ち着かなげに付いてくることもあった。

 中は、山と積み上げられたビデオ、レコ−ド、CD、公演で集めてきたプログラム、チラシの類、たんすの中には丸められたポスタ−がいっぱい。 表紙の破られた雑誌は、そこに田中裕子が写っていたことが後から判明した。奥さんのことも好きだったんだ。

 一周忌の法要は部屋いっぱいに沢田研二のポスタ−を張って、CDをかけよう。 近所の方も親戚も賛成してくれた。


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